2016年11月04日

猫の家出【その1】その猫からの猛烈なアタック

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いない、いない、いない!どこ探してもいないんですよ、うちの飼ってた愛猫が!

家を出て行ってもうかれこれ2ヵ月近くになるんです。チラシをポスティングして必死で探してきましたが、ようとして行方は知れず。

涙が溢れてきてつらい毎日を過ごしてきましたが、そろそろ諦めがつきはじめ、心の整理がついてきた心境で今このブログを書いています……。

“不思議な猫”との出会い


私とその猫との出会いは4年前にさかのぼる。7月半ばの日曜日だったと思う。夫と子供たちが外から帰ってきて

「ただいま〜。おかあさん、ちょっと来て!」と玄関越しに子供が言うので玄関ドアを開けるとそこにいたのだ。見ず知らずの猫が。

「何?猫?なんで??」と私が混乱していると、「散歩の途中からずっとついてきてん。」と夫。

「かわいいやろー?」「めっちゃかわいいー!!」と大喜びの2人の子供たち。

そしてその猫は私を見るなり、すかさず私の足のまわりをぐるぐる回り、すねに顔や体を何度も何度もこすりつけ始めた。

「え…?何?ちょっと、アンタ、誰?!(笑)」

それは熱烈な『飼って、飼って』アピールだった。

いやいやいや、しかし。ペットを飼うなんてできない、そんな余裕ない。

私には手間のかかる2人の子供がいるし、勤めもある(当時は会社に勤めていた)。日々の家事との両立で毎日がヘトヘト、ペットの世話なんてとうていできない、冗談じゃないっ!!

とっさにそんなことを頭で巡らせているその間にも猫は玄関周りの柱や、停めてある自転車、植木鉢、あらゆるものに一生懸命に体をこすりつけマーキングし、『ここが気に入った、ここは自分の場所!』というアピールをして回っていた。それはそれは必死に。

そしてひととおりマーキングが終わると玄関の植えてある木の根元にぺたんと座り込み、こっちをじっと見つめてきた。その肩は上下に大きく揺れ、口ではハァハァと荒く息をしていた。

「猫っていっつもあんなにハァハァ言うてるもんなんか?」動物を飼った経験のない夫が私の隣にきて言った。私も昔実家で犬を飼っていたことはあったが猫とはまったく縁がなかった。

「いやぁ〜、あれはだいぶ体調悪そうやで…。」

そう私が答えた瞬間、子供たちが「公園行こう!猫、おいで!!」と玄関を出て公園に向かいはじめた。猫はかなり踏ん張って重い体を持ち上げるようにして子供たちにヨロヨロとついていった。

「あ、いや、ちょっと、その子、体調が悪いと思うで。」と私は言いながら玄関から道に出ていくと、目に入ったのは、キャッキャッと騒ぎながら公園に向かう子供たちと、その後をゆっくりと、しっぽをだらんと垂れさせて、力なく子供たちについていく猫の後ろ姿だった。

「あ〜あ〜あ〜もう、なんであんなになってまでついていくかなぁ〜〜。」 私は猫に向かってつぶやき、しかし夕飯の支度をしていたので続きをするために家に入った。

 

夕飯の支度をしながらなんとなく不思議に思えて考えていた。あの猫はなぜ子供たちについていったんだろう…?子供たちは「行こう!」と猫に声をかけて外に飛び出したが、手招きなど一切していない。あの猫はある程度人間の言葉を理解しているのだろうか…? 夕飯の準備が出来た頃、子供たちが帰ってきた。そのあとを追って猫もゆっくりと力なく歩いて帰ってくる。そしてまた同じように家の木の根元にぺたんと座った。やはりハァハァと苦しそうだった。

私は「さ、とにかくご飯できたから食べよう。」と子供たちに言うと子供たちは「嫌や!外で猫と一緒に食べる!」と言ってだだをこねた。が、「大丈夫、早く食べたら猫はまだいてるよ、さ、急いで食べよう!」と私が言うとしぶしぶ子供たちは夕食を食べに家に入った。そして大急ぎでご飯を食べ、すぐに玄関に飛び出していった。

…が、猫はもういなくなっていた。 子供たちはひどくがっかりし、どこへ行ったのか心配していたので私はなぐさめた。

「あんなに人慣れしてる子やもん、絶対飼い主いてるよ。今頃家に帰ってるわ。あの猫は大丈夫。さ、家に入ろう。」

私は猫が去ってホッとした。が、言った言葉は本当にそうだと思っていた。あの人慣れの仕方は誰かに飼われてる。離し飼いにでもしてる猫がたまたま来たのだろう。 しかし私の足にはすり寄られた時のあの猫の体温が、妙に残っていたのを今でも覚えている。 

“不思議な猫”帰ってきた!


その日の夜、急に雨が降り出してきた。すると突然隣の部屋にいた夫が「猫帰ってきた!」と叫んで窓を開ける音がした。

夫が隣の部屋でテレビを見ていると、先ほどの猫が「にゃあー」と言って掃き出しの窓に前足をかけてきたと言うのだ! 子供たちは大喜びして猫に駆け寄った。

いィィーー?帰ってきたぁ〜〜〜っ?!

私は一瞬複雑な気持になったが、猫は雨にずぶぬれのこの状況、とにかく家に入れてやらねば、と思った。タオルで体をふいてやり、ご飯に鰹節をまぶして食べさせた。昭和な私には猫と言えばこんなものを食べるのだろうという発想しかなかった。

この雨では外にほうり出す事も出来ない。和室に新聞紙を敷き詰め、今晩はそこで子供たちと猫は雑魚寝することになった。しばらくその部屋で私も猫と触れ合った。猫はみんなのひざの上にかわるがわる乗っては身を乗り出し、顔を近づけてひたすら甘えてくる。どう見ても何年間も生き別れていた猫と家族の再会の図である。にわかには信じがたい光景だ。

そして猫は座っている私の膝にも乗り、上半身を立て私の顔に何度も何度も顔をすり寄せてきた。

うっ、近いっ、近いよ、猫!私たちはさっき知り合ったばかりでお互いの事まだ何も知らないんだって!

…まったく、この猫に「警戒心」というものはないのだろうか…?

次の日の朝、子供たちは学校へ、私と夫は会社に出勤である。最後に家を出るのは私だ。すでに猫は外に出ていて、玄関でちょこんと座っている。

私は慌ただしく玄関の鍵を閉めポーチに向かい、道路に出てからふと猫が玄関にいた事を思い出し振り返った。猫は玄関できれいに前足をそろえて座ったまま、こちらを見ていた。「言ってくるよ。」と私は小さく言うと、猫は「にゃあ。」と答えた。 …私は脱力して苦笑した。

「オマエ、ほんまに誰やねん…笑」

仕事が終わって帰宅したのは夜8時すぎ。家に入ると子供たちが「おかあさん、猫今日も玄関にいたで!」とうれしそうに猫と戯れていた。 そうして夜は一緒に家で過ごし、また朝になると外に出しておく。そんな日が5日続いた。

さてこの猫、どうする?


そろそろこの猫をどうするか、家族会議が必要であった。ダイニングに全員が集結し、娘が猫を膝に抱いていた。 そもそも会議ったって、猫を飼う事に消極的なのは私だけ、すでに夫は猫にメロメロで、子供たちは別れる気はさらさらなく、猫はとっくにわが家の一員として信じて疑っていない状況だった。 私は猫を飼うのは反対だ、これ以上『口とお尻』のあるものの面倒は見れない、いっぱいいっぱいなんだ!という意見は言うだけ無駄な時間になるだろうと判断し、『私の心情の訴え』は割愛、それよりどれほどペットを飼うとは責任重大で大変な事かを子供たちに伝えることにした。

そして何より究極の問題は「ペットとの永遠の別れが必ずくる」という事である。命つきていくまでの看病の時間はとてつもなく辛いものとなる。私はこの事について子供たちに覚悟があるのか?と力説した。

死期が近づいた猫は食べ物も食べれなくなり、毛は抜け落ち、目は見えなくなり、トイレにもいけなくなるだろう。病魔は体中いろんなところに転移していくのだ。日に日に重症化していくのをただじっと見ているしかない。堪え難いつらさだ…。寝たきりの猫は苦しくて私たちを探す動作をするかもしれない、私たちは猫の手をとり「ここにいるよ」と声をかけるだろう。だけどすでに意識もうろうとしている猫にはわからない。

そんな日を何日いや何ヵ月も続けた後だろう、ある朝起きたら猫は息をひきとっているのだ。私たちはまだ息をひき取って間もないであろう生暖かい猫の体を抱きしめ、泣き崩れながら叫ぶのだ!

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・・・誰も聞いていなかった。

すでに猫と遊ぶ事に3人は夢中だ。

楽しそうに猫に喋りかける子供たち、抱かれながら子供の顔を見上げる猫、横から猫の背中をなでる夫の笑顔…

わかったよ…

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こうしてわが家族に猫が一匹加わった。 4年前のある夏の日の出来事だった。

2016年11月04日 | Posted in | タグ: , Comments Closed 

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